やらせて頂く人々
主体的な学習では無く集団圧力に拠った勉強のみを礼賛している間に日本はダメになったのでは無いか?と思っている。
個人という概念の希薄な集団内においては集団内の意思決定に疑問を挟む事そのものがタブー視される。
それによって集団内の意思決定や統率はよりスムーズになるだろうが、代償として個人の自由な発言の場や学習機会は奪われる。集団主義的な思想統制による集団圧力とバイアスがさらに強化される事により結果として個人固有の幸福追求に費やすリソースが失われて行くのだ。
義務としての教育を受けさせる権利が、ファシズム的な集団圧力を形成させる場へ参画させる義務として認知されてしまうのはそういった意味で仕方のないことかもしれない。
個人が幸福を追求する行為のあらゆる意思決定プロセスへ社会や集団が過干渉を行う事が常態化した社会においては、個人が抱く固有の感情も、新たな知の発見も、虚しいモノになるだろう。