世の中は広いようで狭い。狭いようで広い。
今ネット、というかツイッターに蔓延る短絡的かつ一方的な「正論」ぶった物言いにイラッと来る事が多くなった。
それは各家庭や個々人がそれぞれの事情を抱えている事に想像の及ばない
もしくは言及する過程でセンセーショナルさやキャッチーさを優先した結果として
余分な部分として切り捨てられた存在に想像が及んでしまう故だろう。
そのような事に想像を巡らす行為は一般的に効率的であるとは言い難い。
近代性というものを効率性及びそれに基づく合理性の追求であると彼等のように仮定するならば成る程、私の価値観は古びてカビが生えているようにも見えるのだろう。
だがしかし、彼等のその前提は間違っていないと本当に言えるのだろうか?
written by 寒天