IT関連の業界には「頭の良い自分」像を拠り所とする人物が多く存在するようだ
「頭が良い」という言葉は
特定の長所をより全人格的に拡張して美化する目的で使われる事が多い。
そして多くの場合、「頭の良さ」は発話者の主観によって判断される。
日頃論理的思考を信奉するような発言をする人物でも根拠のない「頭の良さ」を密かに誇りにしていたり
学歴信仰、IQ信仰、骨相学、のような
妥当性の疑わしいテストによって計測された知能指数や尺度を信奉している場合が殆どである。
彼等科学を信奉している者達のプライドや情念は非科学的である。
そしてその事に対する自覚が彼等には不足している。
昨今ではアカデミズム界隈の「教養の有無」「反知性的」という表現にもそのような用法が見受けられる。
世の中は広いようで狭い。狭いようで広い。
今ネット、というかツイッターに蔓延る短絡的かつ一方的な「正論」ぶった物言いにイラッと来る事が多くなった。
それは各家庭や個々人がそれぞれの事情を抱えている事に想像の及ばない
もしくは言及する過程でセンセーショナルさやキャッチーさを優先した結果として
余分な部分として切り捨てられた存在に想像が及んでしまう故だろう。
そのような事に想像を巡らす行為は一般的に効率的であるとは言い難い。
近代性というものを効率性及びそれに基づく合理性の追求であると彼等のように仮定するならば成る程、私の価値観は古びてカビが生えているようにも見えるのだろう。
だがしかし、彼等のその前提は間違っていないと本当に言えるのだろうか?
written by 寒天
ツイッターは表通りというより目抜き通り
問答無用の恐ろしさ と 誤った前提の下で行われる出来レース
「お前は❌❌❌だ!」
一般人の私生活を破壊する餓鬼共、集団主義者達
「黙っているのが気にくわない」
「無理矢理にでも語らせたい」「本音を知りたい」「本性を暴きたい」
「そしてそれを批判したい」
そのような彼等のスタンスは特高警察のそれと変わらないのでは無いだろうか?
質問があるのならば語りかければ良い。
何故それが出来ない?
written by 寒天
「人権は重要だがヘイタンも重要だ」
「しゅうだんしゅぎ」ってこんなの
「●●は重要である」「よって我々の●●は死守せねばならない」
「●●は重要である」「よってかれらの●●は✖︎✖︎せねばならない」
written by 寒天