kantenの日記

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全体主義者が何故残念なのか

全体主義者達は派閥どうしの争いに第三者を巻き込んでも悪びれるどころか、互いに相手のせいにするか見て見ぬ振りをして誤魔化そうとするかしかしない。その証拠に彼等は自集団に属さない存在を個人ではなく群れ単位でしか把握できない。彼等にとって個人とは道具であり駒なのだ。そう言っても彼等は鼻で笑うだろう。

 

written by 寒天

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全体主義者は多様性を何故否定するのか

個人の多様なあり方をネット上で必死にこき下ろそうとする人々がいる。

それは何故か?

共同体という幻想にとって最も邪魔な存在は強烈な自我の持主だからである。

共同体組織の維持や外部へのオルグを阻害する要因として

彼等は異物を排除する事で集団を維持することが目的になりがちだからである。

しかしそれのみを続ければ必然的にイエスマンしか残らなくなりカルト化していく。

 

彼等全体主義者達は集団を維持するための最低限の秩序を

保ちつつ個々人が幸福を追求する事を妨げないその丁度良い塩梅を模索しながら失敗を繰り返して来た。

その最たるものが「オンリーワンにならなくても良い」「ナンバーワンになろう」という呪いの言葉である。

 

 

 

 

 

 

written by 寒天

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マイペースで生きられる社会を目指して

無知な人々が歴史観を争点にしたいがあまりに個人の死生観や人生観等の内面へ土足で踏み込もうとする発言を度々見かける。

そのような場合、歴史観の問題と個人の死生観や人生観はひとまず分けて考えるべきでは無いだろうか?

政教分離原則から見てもそれが望ましいような気がする。

その線引きを見誤ればファシズムの到来は避けられないからだ。

 

by寒天kanten.hatenadiary.com

他人に死生観を強要するモノ達は総じて理不尽だ。

生者に望まぬ死の礼賛を強要し押し付けようとする愚かな人達が居る。

その一方で故人の死や尊厳を踏み躙る鈍感な人達も居る。

 

私はそのどちらにもなりたくない。

生と死は2つで1つ

「無駄死に」という言葉を好んで使う人は無念の死を美化したり利用されたりする事を念頭において警戒しているのかもしれない。が、しかし「生は無意味」のような言説まで躊躇なく言ってしまう人はヤバいひとだと思っている。生や死をかけがえのないものとして捉えられない人に敬意を表する事は難しい。