kantenの日記

いかなる形式であっても無断転載・無断流用を禁止します。連絡先はこちら→https://pocketbird.jimdo.com

世俗主義と禁酒法

世俗主義の目的、存在意義は

政体と宗教組織の癒着が引き起こす政治問題や人権問題を回避する事であって

それは政治と宗教が全くの無関係であるという事を意味はしないのだ。

 

逆に厳格な世俗主義を謳いながら、自分達の政治的主張や活動の背後に何があるのかがスルーされた議論というのは政治的合意を引き出す上で有効な戦術かもしれないが、それがはたして誠実な態度と呼べるかは甚だ疑わしい。異論のある方はかつて神道の非宗教論が悲惨な状況を生み出した事を思い起こして欲しい。

宗教右翼は悪である」「宗教右翼は悪であらねばならない」という思想が辿り着く答えとは何処にあるのだろうか?国内でカルトを生み出すのは新自由主義的なビジネス右翼であるケースが多い点も忘れてはならないと思う。「宗教」というものに対し苛烈なまでに攻撃的にコミットしながら、自身の「宗教」に対するスタンスをどこまでもひた隠しにして一方的に「カルト」を連呼する活動家というものはよくよく考えると、とても奇妙なものに見えてならない。私は「カルト的な宗教右翼を指弾する無宗教右翼」が「カルト的な宗教右翼」よりマシであって欲しいと願っているが現状ではどちらもあまり信用できないと感じている。

 

個人的には「カルト」という言葉を問題を数多く起こす洗脳型の宗教集団に対して用いる事には何ら抵抗は無いが、それは宗教を前面に押し出していない活動集団に対しても言える事であって、「カルト」という語は敵対勢力のイメージを損なわせる事にひどく取り回しの良い語であるが故に、私は軽々しく用いる事には抵抗を感じる。使うにしても臆病な程慎重で良いと思っている。

極論してしまえば新人に対して「再教育」という名で「新人潰し」を行うような集団は皆カルトと呼べるのだから。

 

7/25追記

人の思想や生き方を捻じ曲げようとしたり、自分達に都合の良い資源として個人の人生を再利用しようとする者達は皆カルトと呼んで良いのではないか?