裸一貫から成り上がる事を誉れとする感覚の人は今もいる。
不遇である事を共通の出発点にする事で強い連帯が生まれる事は否定しない。
恵まれた環境に甘んじる者も居るだろう。
だがそこから他者の不遇な状態を喜ぶのは何かがおかしい。
失うものすら何も無い程の荒廃から生まれるものは確かにあるがリスクも高い。
たとえ一時、結果は生み出せてもそのままではいずれ燃え尽きる。
それに頼る事は痩せた土地で焼畑農業を繰り返すようなものだ。
それに気づかないまま騙し騙しやって行く事、問題を先送りにする事が、
将来的に負の遺産としてのし掛かってくる。