kantenの日記

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〇〇〇人である事の意義はゼロか?

ツイッターで「日本人である事に価値は無いよ」という発言を見かけたのだが、おそらくそれは

 

「人種主義に依拠した優越感は愚かで虚しいだけ」という主張を行いたかったのだろうと推測する。

もちろんそのような主張ならば賛同出来る。

が、それ以外の主張のようにも見えてしまう点で少々危ういと感じる。


例えば「〇〇〇人である事に価値は無いよ」と海外で言ってみたらどう聞こえるだろうか?何が起こるだろうか?

〇〇〇人である事にアイデンティティを見出す者は押し並べて排外主義で差別主義的で救いがないほど愚かなのだろうか?

国籍を持っている事や新たに国籍を取得する事に何も価値など無いと本気で思っている人はどれだけいるだろうか?

そういった視点を欠いているのか?はたまた敢えて無視しているのか?

「〇〇〇人である事に価値は無い」発言からはそのような残念な印象を受けてしまう。

 

「生まれただけで意味がある」と個人に対して言いながら、成果主義市場原理主義を持て囃す事に何も違和感や危機感を持てない人や持たない人が言う所の弱者とはかなり限られた存在なのではないか?

彼等は共同体やアイデンティティを攻撃するだけで人間を選別する事自体への躊躇はないのではないか?

「〇〇〇人である事による社会的恩恵を無条件に他者から受け取る事を期待するようなバカにはなるな」

「競争社会における実力と社会的な貢献度のみが個人の評価に繋がる」

と暗に言いたい人も一定数いるのではないか?

そう思われてしまっても不思議ではない。

 

だが冒頭で述べたように彼等の言い分にも一理ある。

個人のアイデンティティとしてでは無く、他者を攻撃し貶める事が目的化したナショナリズムは悪循環しか生まないだろう。

そしてそのような負の連鎖を生まないためには、頭ごなしにナショナリズムの全てを否定するのでは無く、一人一人が内に抱える危うさと向き合いながら上手に付き合って行く事が重要なのだと思う。