kantenの日記

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ミギトヒダリ

世間にはミギトヒダリという対立軸を永遠のテーマとして捉えている人も多いのかもしれない。

だが、そのような人々の目に世界がどのように映ったとしても純粋にミギトヒダリの二項対立で分けられる筈もない。オルグする為には二項対立が手っ取り早いというのもわからなくも無いが、今必要としているのは全ての問題においてそのような視点でのみしか語れず形骸化した政治勢力についていかない事では無いだろうか?

個人を尊重する気概も姿勢も感じられない。あるのは如何に自勢力を拡大するかという事だけ。

そのような者達に人生を委ねたくは無いし、いじられたくもない。

彼等が今手にしようとしているのは、内心を覗く公益だ。

 

 

ミギトヒダリという対立軸が他の軸よりも重要であるかのように主張しなければならない人々には人を人として見るよりも先に優先すべき事柄があるのかもしれない。

 

7/17 追記

「ミギやヒダリをやり込める人は冷笑するだけで社会のアップデートの妨害しかしない愚か者」という言説は、まず世の中にはミギとヒダリの二項対立でのみ社会の事象を捉える事が前提となっており、そのような立場に立たない異なる存在が予め除外されている事を指摘しておきたい。

 

ミギとヒダリという図式では語れない物事やイシューが存在する事に思い至らない人々によって愚か者であるかのように言われてしまう人は本来個人は皆考え方が異なって良いのだから恥じ入る必要などないと思う。

確かに人権問題等に対して冷笑や妨害を目的としたシニシズムを振りまく層が存在する事は事実であると思う。

しかしそのような人々と、個人としてミギとヒダリだけしか存在しない世界に入れ込みたく無い人々を同一視するのは個人的にとても違和感がある。

個人として100%相手と同一化する必要などないのに政局的に必要であるという理由のみで考え方や生き方を全否定される事もまた人権問題であると感じるからだ。